昔の広報誌が懐かしい

旧亀田町の職員だった頃、町の広報誌の制作を担当した。新潟市のホームページ、新潟市図書館のホームページで、バックナンバーを見ることができる。私が担当したのは昭和62年4月15日号~平成7年4月1日号の8年間。月2回の発行で、表紙にはでかでかと写真を載せ、説明文を掲載していた。私は写真撮影が苦手である。それまで、写真といえばピンボケしか撮れなかった。異動が決まったとき、私はカメラ店に飛び込み、「誰でも上手く撮れるカメラをくれ」と叫んだものだ。写真には苦労した。だが文章を考えるのは楽しみだった。つい知らずに差別用語を使用して怒られたこともあったが、暖かく、心を和ませる文章になるよう工夫した。おかげで、このブログを書くことに役立っている。私が担当して改善したことがいくつかあるが、とくに1歳半児検診を受けた子ども全員の顔写真を掲載したことは、良かったと思う。子どもが一度は広報誌に掲載されると、親はうれしいだろう。その号は宝になるかもしれない。しかし、合併で町の広報誌はなくなり、広範囲な区だよりとなってからは廃止された。残念なことである。広報誌は身近に感じる媒体であってほしいものだ。(sumito)