公務員である以上、職場の異動は避けられない。長く亀田町公民館または亀田町町民会館(のちの亀田市民会館)に勤務していたが、平成19年に旧新潟市の中地区公民館に異動となった。私は、この異動で実行委員会から手を引く、いい機会だと思った。いつまでも私が事務局として動いていたら、実行委員会の意味がない。もし、私が離れて活動ができなくなるようであれば、いずれは解散してしまうだろう。実行委員会が自立して活動を継続するのか、消滅してしまうのか、私は賭に出た。案の定、実行委員会は休止という残念な結果となった。私としては、委員が手分けして分担することで、継続していってほしいという気持ちもあったが、これ以上、負担を強いるのも難しいのかなと考えていた。たとえ休止しても、これまでの7年にわたる活動が、この地域に音楽文化を根付かせたという功績が残る。委員のみなさんがつらかった分、楽しかったという思い出にもなるだろう。これで十分だという気持ちで、私は実行委員会を整理した。《その5に続く》(sumito)